今年もまた、畑や、周辺の様子、うちのいろいろな出来事、伊藤家の愉快な動物
たちの様子など書き綴っていきますので、よろしくお願いいたします。
2017年は、極寒のスタートです。
昨年12月から例年稀にみる寒さでしたが、1月になっても寒さから解放されることが
ありません。
連日、朝晩-15℃以下の日が続き、日中も最高気温が-7℃の真冬日が何日も
続いています。
こんなに寒い日が続くのも、初めてです。
雪は、千歳市や札幌市に比べると少ないのですが、どこを見ても雪で真っ白です。
12月下旬に、2~3日プラスの気温になった時に、積もっていた雪が一気に溶け
ました。でも、朝晩の寒さでまた凍り、日中にまた溶けては凍り・・・その繰り返しで
道路はガタガタでツルツルです。
買い物に行った時は、車から降りる時は、転ばないように、お店まで歩くときも
転ばないように慎重に・・・
寒さと、歩きにくさで、買い物に行くのも勇気がいります(笑)
ヤギのユキチャンの水飲みバケツは、毎日こんなに凍っています。
毎日、ランタンがひとつづつ増えていきます。
日中も寒いので、溶けません。
私は、ぶるぶる震えているのに、ねこ達やユキチャンは、寒さに負けず、とても
元気です。
2017年1月14日
お正月、埼玉の実家に帰省した時、千葉県の最南端の南房総へ行ってきました。
高速道路に乗り、最初に寄ったのが東京湾に浮かぶパーキングエリア、東京湾
アクアラインの中間に位置する「海ほたる」です。
行ってみたかったところです。
この日は、天気がよくて日差しが眩しいくらいでしたが、もの凄い強風が吹いていて
飛ばされそうだったし、寒くて寒くて展望デッキで、ゆっくり景色を楽しむなんてことは
できませんでした。
海と富士山と飛行機と船が、一緒に見られて、きれいな景色でした。
お店では、千葉の海山物がいろいろ売られていて、おいしいお魚が食べられそうで、
期待がふくらみます。
北海道に住んでいても、情報番組でいろいろな所の美味しいものを知ることが
できますが、なかなか行くことができません。
この旅行では、海ほたるに続き、保田漁港にある「ばんや」という食事処にも寄ることが
出来ました。
新鮮な魚介が格安で食べられるということで、テレビで何度も見ました。
広~い店内のテーブルはほぼ満席でした。
メニューもたくさんあり、迷った末に「なめろう定食」にしました。
北海道では食べられない魚ばかりなので、食べたいものばかりでした。
「なめろう」は、何十年振りに食べました。
とても、美味しく大満足でした。
南房総には、「道の駅」がたくさんあって驚きました。
父が道の駅のスタンプを集めていることもあり、寄れる限り寄ってきたら2日間で、
海沿いの10ヶ所制覇しました。
どの道の駅も、それぞれ特色があり、農産物から海山物、お土産など様々な
物が売られていておもしろかったです。
洲崎灯台(すのさきとうだい)にも行きました。
大正8年(1919年)12月に竣工されたそうです。
建造物は国登録有形文化財になっており、今も東京湾に出入りする船舶の
目印として重要な役割を果たしているのだそうです。
2017年1月16日
ホテルに1泊し、翌日の1ヶ所目はまた灯台です。
今度は、野島崎灯台です。
明治2年12月に点灯を開始した灯台で、観音埼灯台(神奈川県横須賀市)に次いで
日本で2番目に古い洋式灯台です。
しかし、その灯台は大正12年9月1日の関東大震災で倒壊してしまったため、、
翌年8月に復旧工事で復旧されたそうです。
形は八角形で同じですが、灯塔の材質は、レンガから鉄筋コンクリートに変更
になり、それが現在の灯台のようです。
古い歴史を感じます。
地上からの高さは29mあり、有料ですが灯台の中の細いらせん階段を登っていくと
展望台まで行くことができます。
みんなで、フーフー言いながらやっとたどり着くと、素晴らしい景色を見ることが
出来ました。360度、海から陸地まで見渡せて、足がガクガクになりながらも
登ってきてよかったと思いました。
駐車場から、灯台に行く途中には、海山物のお店や、お食事処、素通りできない
ようなところがたくさんありました。
でも、朝食を食べたばかりだったので、素通りして次の目的地へ向かいました。
看板だけでも。
やはり、房総に来たら「あじ」ですね。あじフライ、なめろう定食、たたき定食、
あじのさんが焼き・・・あじアジ定食???
次は、食べ物から離れて神社へ・・・でも、食べ物と密接な関係がありました。
南房総市千倉町にある「高家(たかべ)神社」に行きました。
高家神社は、日本で唯一、料理の祖神をまつる神社なのです。
なぜ、料理の神様なのかというと・・・。
料理を作る職で天皇に仕えた、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が祭られて
いるからだそうです。
「日本書紀」に詳しく書いてあるそうですが、景行天皇が安房の浮島に行幸された
折り、待臣の磐鹿六雁命が、海でカツオを釣り上げ、砂浜でハマグリを取り、焼き物や
なますにして差し上げたところ、大いに賞味され、その料理の腕を暑く賞され、
料理を作る職を賜ったのだそうです。
境内にある庖丁塚には、調理師などの関係者が供養に訪れるそうです。
「料理お守り」「料理上達お守り」など、見たこともないようなお守りも売っていました。
2017年1月20日
次は、「道の駅和田浦WA・O!」でお昼ご飯。
この辺は、くじら料理のお店も多いようです。
くじら丼には、お刺身がのっています。
北海道では食べられないものばかりです。
これは、「食べくらべ定食」。
くじらの竜田揚げ、くじらコロッケ、くじらのメンチカツ。
それぞれの味が楽しめました。
店員さんが、お料理を運んできて、最後にそっとテーブルにこれを置いていきました。
何かと思ったら、伝票です。
伝票がサザエの殻に入っています。
思わず、みんなで笑ってしまいました。
ちなみに、お膳にのっていた箸置きは落花生でした。もちろん食べられましたよ。
これを考えた人に「お見事!!」と言いたいです。
最後に寄った道の駅は、「道の駅・ローズマリー公園」です。
南房総市白子にあります。
ここは、また違う趣の道の駅です。
南房総市に合併される前の丸山町は、ローズマリーの故郷である地中海のクレタ
島やキプロス島と同じ北緯35度に位置することから栽培に適していたローズマリー
を核としたまちおこしをし、公園を整備したのだそうです。
敷地内には、建物がいくつもあり「シェイクスピアミニ展示室」「シアターホール」
「テナントショップ」「はなまる市場」など、見所満載の道の駅でした。
「16世紀の古い建物や町並みが残るストラットフォードにあるシェークスピアの生家
を忠実に再現した建物です。テナントショップ及び貸しギャラリーが入っています。」
とパンフレットに載っていました。
南房総の道の駅は、わざわざでも寄りたいところばかりでした。
北海道で、こんなに充実したところには行った事がありませんからね。
いよいよラストは、イルミネーションです。
2017年1月21日
房総を堪能した後は、イルミネーションのはしごです。
最初は、「マザー牧場」へ行きました。
マザー牧場は、千葉県富津(ふっつ)市にある観光牧場で乗馬体験やバター作り
などの体験もでき、ジンギスカンやステーキなども食べられるようです。
暗くなってから入場したので、昼間の風景はまったくわかりませんでしたけど・・・。
写真の、奥の方に見える黄色いのは、観覧車です。
わくわくランド&アミューズメントがあるようです。
入口すぐのところには牛さんのイルミネーション!
イルミネーションの全景です。
10分おきくらいに音と光のショーがあり、光の色が変わりました。
全体を見ているのもきれいでしたけど、アルミネーションの中の小径を歩きながら
見るのもまたとてもよかったです。
寒かったけど、寒さを吹き飛ばすくらいきれいでした。
ショーを見たあとは、光のトンネルを通って出口へと向かいます。
違う色合いの一画も、きれいでした。
同じ場所の色が変わったところです。
一面ブルーになりました。
そして東京ドイツ村へ。
2017年1月23日
東京ドイツ村です。ドイツの田園風景をイメージしているらしいのですが、こちらも
暗くなってからでは、よくわかりませんでした。広大な敷地というのだけはわかります。
東京といっても千葉県袖ヶ浦市にあります。東京を頭につけたのは、東京湾
アクアラインが開通し、首都圏から近くなったことに由来しているそうです。
こちらは、入場ゲートを入った瞬間に、びっくりするようなすごいイルミネーション
です。
もう、ホントに圧巻です!
あしかがフラワーパーク、江ノ島・湘南の宝石、そして東京ドイツ村が、関東三大
イルミネーションのようですから、すごい訳です。
自分の車で、園内の道を走りながら見ることもできますが、歩いてじっくり見て
楽しんできました。
250万球のLEDとのことです。
エリアごとに、白鳥がいたり、ロケットがあったりして、本当にきれいでした。
園内全体が、イルミネーションで飾られているので、できるだけたくさんは見たの
ですが全部回りきれませんでした。
レストランやショップが入っている建物も、こんなに光り輝いています。
全長70mの虹のトンネルの中から撮りました。
真正面に見えるのは、ロケットです。
今までほとんど行った事がなかった千葉県・房総の旅は、見所満載で
楽しい旅でした。
2017年1月23日
埼玉県行田市(ぎょうだし)の「足袋(たび)とくらしの博物館に行きました。
ここは、「牧野本店」という足袋やさんの足袋工場をほぼそのまま残し、足袋職人
さんによる実演を見学することができます。
足袋も販売していました。
行田市は、木綿の産地でもあり、中山道が通っていたことで、旅行用・作業用の
足袋作りが盛んになったと考えられているようです。
明治時代になるとミシンが使われるようになり、旅の生産量は増大し、資金も安定し
ミシンの動力化も進んで、行田の足袋は名実ともに日本一になったのだそうです。
昭和13年には、約200社の足袋商店が操業し、、生産量は8500万足で、全国の
生産の8割を占めていたということです。
しかし、昭和30年前後を堺に、ナイロン靴下の普及や洋装化の進行で、足袋の
生産量は減少を続け、廃業や被服生産に転換する商店が相次ぎました。
近年は、生産拠点を市街や海外に移すケースも目立ち、現在は20社が足袋の
生産販売をしていて、年間約141万足、全国シェアの35%を行田市で生産している
そうです。
建物の2階には、昔懐かしいミシンや足袋、旅に関する資料などが展示してありました。
2017年10月から放映のドラマ「陸王」は、行田市にある老舗足袋業者の四代目
社長が日々奮闘する姿を描いた物語だそうです。
今から、楽しみにしています。
2017年1月25日