11月2018

家は全壊…

 

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「家は倒れなくてよかった~」と思ったのもほんの少しの間だけでした。

家の基礎は何カ所も壊れています。

見れば見るほど、受け入れがたい現実です。

 

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モルタルは剥がれ落ち、窓ガラスもはずれて倒れていました。

家の裏側のお風呂の壁は、大きな亀裂で中が見えています。

衝撃で斜めになってしったお風呂には入ることができなくなりました。

 

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地震からしばらくして家屋調査がありました。

うちは、自宅が「全壊」、納屋が「半壊」の判定でした。

離農した古い家をやっと手に入れ、半年かけて自分たちでリフォームし、楽しく

暮らしていた家だったのに、もう住むことができなくなってしまいました。

本当に残念で、悲しいです。

ほんの一瞬で、突然家を失ってしまいました。

 

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ボロボロだった和室の基礎をコンクリートをこねて直し、サンルームを増築しました。

気に入っていたこの場所も陥没で傾いてしまいました。

ほぼ震源地だったので、この地区の被害は特に大きかったのです。

同じ地区でも新しい家は何ともなかったのですが、古い家は地震の被害が

大きかったようです。

 

サバイバル生活の始まり!

 

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すぐに復旧するかと思われた電気、ガス、水道…。

何日たっても復旧する気配もありませんでした。

家の中は物が散乱したままで、余震も多発し、怖くて中にはいられません。

キャンプ道具は揃っていたので、庭にテントを張りました。大きい方が私たち。

小さい方は、(=‘x‘=)猫たち用です。

停電が続いていたので、昼間は家の中を片付け、暗くなる頃には外のテーブルで

カセットコンロでレトルト食品を温めて食べ、夜はテントで寝ました。

でも、寝ている時に大きな地震があり、揺れるたびに急いでテントのファスナーを開け、

愛犬むぎちゃんを抱きかかえ、外に出て道まで走りました。

何度も何度も、そんなことがあると怖くて寝られませんでした。

 

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土砂崩れで道は通行止めですから、車が通れません。

何とかお隣の庭を通らせてもらい、車を道路まで行くことが出来ました。

 

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その日から、車中泊が2ヶ月続きました。

最初の頃は、車の中は少し安心できましたが、いつでも逃げられるような向きに止め

て寝ていました。

停電なので、のんびり晩酌という気分にもなれず、夕食を食べてからの夜の時間が

長かったです。いつもなら夜遅くまでパソコンの前に座っているのに、何もできないの

ですから…。

 

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断水は1ヶ月以上続きました。

お水は、給水所にもらいにいきました。自衛隊の方はとても親切で、駐車場まで

ポリタンクを運んでくれました。容器もくれたので、一度に車に積めるだけ積んで

きたので、そんなに辛い思いはしませんでした。

お風呂は銭湯に行ったり、温泉に行ったりしていました。

トイレは簡易水洗だったので、お風呂の残り湯を利用して使うことができたのは

よかったです。

 

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避難所の前には、いつも多くのテレビ局のスタッフがカメラをまわしていました。

避難所には行きませんでした。

愛犬むぎちゃんがいるし、動物たちをおいていけないからです。

余震は怖かったけど、ねこたちの仕草に癒されながら、元気に明るく笑いながら

過ごしてこられました。不思議なくらい落ち込むこともありませんでした。

落ち込んでいる暇がなかったと言ったほうがいいのかもしれませんね。

 

掲載された写真

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毎日新聞の全国版の一面に車中泊の写真が掲載されました。

その日、地元のテレビ局の取材を受けていると、寡黙なカメラマンが現れました。

思い返せば、明るい時間から暗くなるまでずっと一緒にいたような気がします。

取材スタッフが帰ったのは暗くなりかけた頃。

それから、外のテーブルでレトルトのカレーを温めて食べるところ、車で寝るところ…

どのくらいシャッターを押していたのでしょう。

取材を受けたりするのはとても苦手なのですが、バチバチと撮られても不思議と

嫌な感じがなかったのは、寡黙な中にいい写真を撮りたいという気持ちが伝わってきたから

なのかもしれません。

そのたくさんの写真の中から選ばれた1枚。

翌日の朝刊に掲載されるからと言い残し、カメラマンさんは帰って行きました。

 

翌日、コンビニに新聞を買いに行きましたが、売り切れで買うことができませんでした。

避難所にも何部か置いてあるのですが、その日は見当たりませんでした。

受付で自分たちが載っている新聞なので手に入れたいと伝えると、避難所の

中で聞いてくれました。「持って行っていいよ」と譲ってくれる人がいて新聞を

手に入れることができました。だから、ちょっと新聞はヨレヨレ(^_^;)

 

写真は、とてもいい写真だと思いました。

こんなふうに撮ってくれたんだ・・・すごく心を打たれました。

文章で書かなくても、見る人に思いが伝わる写真だと思いました。

そして。写真ってこんなにいろんな事を伝えられるんだなぁと思いました。

カメラマンさんには、感謝の気持ちを伝えたい…。

ありがとうございましたって。

 

「しらせ」の入浴支援

 

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海上自衛隊の南極観測船「しらせ」の一般公開が9月8日、9日に予定されていましたが、

北海道胆振東部地震が起きたため、一般公開は中止になり、被災者支援で

入浴、携帯電話の充電、給水などの生活支援を行ってくれました。

 

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一般公開を楽しみにしていたのですが、見学ではなくて入浴ができるなんて…。

「しらせ」は、南極観測船で海外活動が長いため、災害派遣に参加するのは

珍しく、初代「しらせ」の三宅島噴火(1983年)以来2回目なのだそうです。

 

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地震から2日目。やっと着替えることが出来ました。

人数を調整してくれていたので、ゆっくり入浴することが出来ました。

湯船が深かったです。船員の皆さんはこのお風呂に入って長旅の疲れをとって

いるんですね。

 

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輸送艦「おおすみ」も停泊していました。

大型トラック、油圧ショベル、ブルドーザー、自衛官などを乗せて仙台から

災害派遣できたのだそうです。

お風呂に入ったあと、お風呂セットを持って、サンダル履きで「すごい、大きいねぇ」などと

話しながら、ちょっとわくわくするような時間を過ごせました。

ありがとうございました!

 

食事

 

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地震のあと、初めて食べた食事です。

気が動転という感情でもなかったけど、おなかはすきませんでした。

でも何か食べておかなくては・・・という気持ちで避難所の前で配っている食事を

もらって食べました。

 

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何日かあとの朝食です。紙コップにはお味噌汁が入っています。

 

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また何日後かの朝食です。

温めて食べるパックのごはんと鮭の缶詰とお味噌汁という昼食もありました。

家は10日後くらいで片付けがだいだい終わり、家の中を歩けるようになりましたが、

大きな余震が続き、ライフラインが復旧しないままだったので、食事は外のテーブルで

ずっと食べていました。

ラジオを聞きながら、キャンプ用のガスでお湯を沸かしたり、レトルト食品を温めた

りして食べていました。

洗面道具も外に置き、毎日がキャンプ生活でした。

ずっとテレビも見られなかったので、テレビで流れている厚真町の様子も

知らないままでした。

 

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夜は、余震がくると怖くて、すぐに下の道に置いている車まで走って逃げました。

未だに、夜の余震はものすごく怖いです。